立体ホログラムテレビ

自分はテレビが好きになれない
その理由は、テレビの非現実感にある
見ている者と放送者側双方の会話はなりたたない
ただひたすら、見ている側が受動的に情報を受け取るだけ
気付かないうちに、頭を使わなくなっている気がして嫌なのだ

本を読むのと違い、ビジュアルのインパクトが強い
なので、想像力の入り込む余地が少ないと思う


テレビべったりの生活はどうかと思う
新聞のテレビ欄を見て、見たい番組がやっているかどうか、それをいつの間にか、自分の生活スタイルの時間にも合わせられている
録画が発達したからいいようなものの、何時に、これこれがあるから、買い物してこなきゃ、ご飯食べておかなきゃ
そういった自己の行動がテレビの番組表に無意識に支配された生活というのは如何なものか
寂しすぎないか

テレビが好きだという、おじいちゃん、おばあちゃんなどがいけないというのではない
単に、小さい頃テレビっ子だった自分が、だんだん大きくなってそのような生活スタイルになっていたことに気付いた時、自分に嫌気がさしただけ


でもあれば便利であることは確か


小さな箱の中に非現実的な大きさの人間が動いている
映画のスクリーンだと大きすぎる
そこにもう一つの現実、非現実の世界への入口がある


非現実な大きさでありながら、映像の情報伝達力の強さゆえ、記憶として脳に残る残像
自分で積極的に意識しないと、それが全ての事実であるかのように錯覚してしまう
それは報道でもいえる
演出のない報道は実際には報道の役目をなしがたい
それをやらせと批判する者もいるだろうけれど、効果的な演出とやらせは紙一重だ
伝えたい物がうまく伝わらなければ報道の意味はない
電波は有限なのだから、うまく使う必要性が求められる
非効果的な電波の垂れ流しは許されない


たんにとらえ方の違いに過ぎない
でもそれは自分で意識して、所詮テレビですからと、注意していれば受動的な情報の取得は防ぐことが可能だ


最近増えてきた大型液晶テレビ
あれだと、人間の等身大の映像もありえる
いつの日か、ホログラムを使った立体映像で、自宅の中で、キャスターがその日の報道を、部屋全体の中で、まるでそこにいるかのように、様々な報道をしてくれる日がくるかもしれない
そうしたとき、現実の世界の等身大のもう一つの入り口として
テレビが好きになるかもしれない



メンバー凄いただ驚くのみ度  ☆☆☆☆☆
ジーンときてしまいます度   ☆☆☆☆☆
Liveとメンバー違うのかな度  ☆☆☆