国によるプロモーションビデオの違い

これまた、楽しい動画だよなあ
前の携帯のCMと同じ楽しさがある
最後の女の子がとても楽しそうに自転車に乗っているのが印象的
今回のものは、特定企業のCMでなく非営利な平和活動の一環らしいけれど
なぜ日本にはこういうセンスはないのか


アメリカなどは、映画の撮影でも街をあげて道路封鎖して協力することもあるという
日本で同じような撮影許可を取るのは困難だと聞いたことがある


何かを作ろうとするとき
他人の協力が必要なものがある
そのとき、どれだけ他人が協力的になってくれるか


汝隣人を愛せよの精神を持っていない自分のような感覚がいけないのかな
何か目的を持って一つのことを表現したいとき
たった1人の表現者によるアピールもいいけれど
多くの人がその目的に向かって共通の行為をする方がインパクトは強い
多くの人が共通の行為をとると、どうしてもわざとらしくなったり、おしつけがましいものとなることが多いけれど
この映像はそういうものが感じられない

わざとらしくなる
おしつけがましくなる

そうならないときと、なるときの違い
それはどこにあるのだろう


単に、撮影を知らされていない通行人もとらえているからというだけではないと思う
そこに登場する人たちが、本気で楽しんでいるのか、単に演技にすぎないのか
演技をプロとする役者であれば別だけれど
一般人に楽しんでいる演技をしてくれといっても、不自然さは拭いきれない
ここに登場する人たちは、本気で自転車を楽しんでいる
その辺がこの映像にわざとらしさ、おしつけがましさが出てこない理由なのかな


ものづくりへのリスペクト
表現行為の情熱
それらを協同で行うことの自由
他人の行為への理解
そういった様々なことが外国との違いなのかな
個人主義とよく言われる欧米諸国だけれど
その欧米諸国の方が協同で良いものを作り出している
個人主義
それは他人の行為への尊重というということも含まれているのかなあ



知らない人が見たらヴォーカリストと勘違いする度 ☆☆☆☆
叩いて歌うのは疲れちゃうんだろうな度      ☆☆☆
まだ髪が残ってる度               ☆☆☆