デザインの進化

洋服でもなんでも、その時代その時代の流行というものがある

作る側、売る側が、今年はこれでいきましょうというのはよくある話しだけれど、そういうものは別として、純粋に買う側の好みが変わることもある


当時、かっこいいと思っていた服でも、今それを見ると、なぜこんなダサいのを着ていたのかと思うことはしばしば


その時代その時代の映画や雑誌など、見る側を意識し、斬新なセンスを売り物にしていたものも、今時点で振り返ってみれば、なんじゃこりゃというものだらけだ

好みというものはあるので、そういうものが好き嫌いという主観的な判断が分かれるのは当り前なのだけれど、不思議なのは、好きだと言う人も嫌いだという人も、昔のセンスだよねという判断は共通している
過去に流行っていたものだという知識からくる判断ではなく、そのデザインそのものを見て、判断しても同じだ
たったひとつの物を見ただけでは判断しづらいけれど、複数の物を並べて比べると、どれが古いデザインかということは、それほど多くの人が間違えない

主観的な好き嫌いではなく、デザインそのものから、時間的な新しいものか古いものか、そういうものを読み取っている


それはなぜなのだろう


時間、それは1つだけでは分からないもの
意味のないもの
そのときその時間その一瞬は点であり、時間としての意味をなさない
他の一瞬があり、それをつなぐことで時間の意味が生まれる
過去を過去と呼ぶのは、現在があるからだ

デザインも同じ
比較することで、新しいものと古いものという時間の差が生まれることになる

自転車などは、毎年この時期に翌年モデルが発表されつつある
おっ、今年のモデルは斬新だなあ、去年よりかっこいいなあと、毎年毎年、見るたびに思う

去年あんなにかっこいいと思っていたのに、今年の物と比べると、去年のはちょっとおちるなあと思ってしまう


ものを見たとき、自分は何をもってかっこいいと感じているのだろう


かっこいいかかっこよくないか
好きか嫌いか

そういう主観的判断には、もしかしたら、どれだけ新鮮なのか、どれだけ似ているものを今まで見たことがるのか
そういった客観的判断も無意識に同時に働いているのではないか



デザインに完成はない
作曲に終わりはない音楽のように

いつまでもいつまでも、新しいものが生まれ、常に進化してゆく




すきっ歯がかわいい度   ☆☆☆
左手ナルちゃん度     ☆☆☆☆
自分の世界に入ってます度 ☆☆☆☆