知らない道と知っている道の時間の感覚

何かに集中していると、時がたつのを忘れ、あれっ、もうこんな時間なんだということはよくある


同じように、初めて通る道より、慣れている道を通る方が時間的に短い気がするのはなぜなのだろう

同じ道でも、何度も通るにつれ、最初よりは短く感じる


かかっている時間は同じなのに


このとき、遠い、近いという空間の把握は、長い、短いという時間の概念として把握されることになる



人と話をしていると、あら、もう着いてしまったのねというのは分かる
道のことではなく、他のことに頭が集中していたからだ

では道に集中していた場合はどうだろう


知らない道を通るときは行く先のみならず、周囲を気にしながら道そのものに気を配っている
走りなれた道ならば、要所要所しか気にしなくなる


初めて通る道
目的地に着く正確な時間を読むことが出来ない
それは不安からくるものなのか

別に急いでいないときでも時間の印象は同じ
2度目以降の方が時間を短く感じる

急いでいない以上、いつ着こうが構わない
むしろゆっくり景色を見ながら楽しみたい
そういうときでも必ず慣れた道の方が短く感じる


初めての道は長く感じ、慣れてくるにつれ短く感じるのはいつ着くのか正確に読むことが出来ない不安以外からのものなのか


時間を正確に読むことができるかどうか


いつ着くかという結果に対する不安ではなく、把握することができないという、その時点の状態に対する不安なのか

もしそうであるとすれば、人は常に何かを把握していたいという欲求を本能として持っていることになる
知らないことに対する不安、恐怖、不満、それらを無意識に持ち、自らの行動の予測につなげようとするだろうか


時間を気にしていなくても、頭の中では無意識に自己の行動と時間とを照らし合わせているのだろうか

時間というものは人間が社会生活の利便性を考慮して作られた概念
言わば理性の産物

無意識または本能において時間を気にするというのは、少しおかしな気がしてならない



動いているだけで満足度  ☆☆☆☆
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存在感満点度       ☆☆☆☆