「今どきの子どもは」という言葉

よく言われる、「今どきの子どもは」という言葉
それはいつでも、年上の人間が、年下の子どもを見るときに感じて出てくる言葉
その裏には、自分たちの子どもの頃は違う、自分たちが子どものときはもっと良かった、等の揶揄が存在する
それは自分を中心に時間軸にすえて、自分からの視点での考え方
確かに、昔と今とは違う
比べる対象には様々なものがありうるが、昔の子どもと今の子どもがその比較対象において、異なる現象があることはおそらく誰も否定しない
いや本質的には、同じなのだ、変わらないのだという点もあるけれど、何かを比較したときに、異なる現象が存在することは否定できない
それはちょっとしたしつけだったり、マナーだったり、一般的には公共上の社会常識と呼ばれる分野において比較されることが多い


では、ある対象物において、その点は昔の子どもの方が客観的に良かったのかというと、それは言いきれないと思う
いつの時代にも、それは同じことが言われるのだから


ラジオで聞いた話では、なんでもピラミッドの中の象形文字の中にも、「今どきの子どもは」という趣旨の文字が書かれているらしい
何千年も前から、世界のあらゆる場所で、同じことが言われ続けてきたのだ
だとしたら、これから何千年先にもきっと、同じように「今どきの子どもは」と言われ続けるのだろう


なぜ、人はいつの時代も、「今どきの子どもは」と思うのか
それは、自分が経験してきたことでしか物事は考えられないから
自分以外に一定数同じ経験をしてきている人間がいると知ったとき、それは自分にとってだけでなく、いつのまにか社会の常識であると記憶が刷り込まれる
でもそれは仕方のないこと
人は経験したことでしか物事を考えることができないと思うから
言いかえれば、物事を考えることができるということは、何かを経験し、それを事実として脳に記憶し、何かが起きたとき、経験してきたそれと類似するものを本能で探し、想定事項を組み立てることで思考回路が生まれる
多分そんな感じなのだと思う


だから、いつの時代も大人たちが、「今どきの子どもは」と感じるのは当たり前のことなのだと思う
時代が変われば、細かな社会状況は変化する
その変化に自己の認識がついていかないのであれば、必然的に自己の経験基準を固定化し、その社会状況を昔を基準として判断せざるを得ない


ここまでで考えを止めると、「今どきの子どもは」と発してしまうその大人は、時代の流れに乗れない、頑固な頭を持っているというマイナスのイメージが表にでてしまう

さて、それは本当にマイナスなことなのか
視点を変えて考えてみた


長くなりそうだ
明日以降の思考に続く



風船より軽いその音楽度      ☆☆☆☆
深く考えるなよ、気楽に行こうぜ度 ☆☆☆☆☆
気取って踊って、最後にフフフ度  ☆☆☆