人はなぜ新しいものを求めるのか �

小さな子どもが遊ぶおもちゃ
それはそれで楽しい物だか、大人には、あまり楽しめないものもある
それでも全く楽しくないかといえばそうではない
ただ、それが子どもにとって数時間、数日持続するものであっても、大人には数秒で楽しめなくなるだけ


大人はどうして玩具に面白さを感じないのか
三島由紀夫は、彼が20代の頃、こう分析していた
それは、その玩具のシステムが単純だからと


そこから推察するとこうなる
単純なシステムは理解できる
理解できるとそれで終わる
そこで自己満足し、飽きてくる
同じ玩具での興味の持続の違いは、子どもと大人のシステムの理解力の差による
おそらくそういう趣旨


複雑なシステムになれば、それを理解するまでには時間がかかる
それまでは飽きがこない


物事に対する興味の持続は、理解力だけが要素ではないはず
絵を見て、どんなに書き手の表現したかったことが理解できても、それで飽きることはないのだもの


いま話題のiPhone4s
iPhone5が出なかったことで残念がり、iPhone4sの購入は控えて、iPhone5が出るまで待つという人が多くいるという
そこに人は何を求めているのか
だいたい3G→3GS→4ときているのだから、単純に4Sでしょと思うだけれど、多くAppleファンは、そうはいかないらしい
5でないと満足しない人が多くいるらしい
その興味は理解だけでは説明がつかない


機能の程度の差ではなく、根本的な新しい機能そのものを求めているならば分かる
特に自分の欲しい新しい機能がないならば、今持っているもので十分だから、別に買いかえる必要もないという判断
それなら分かる
内面にこだわり、5を求めたタイプ


ただAppleファンの声はそれだけではないらしい
iPhone4から、ほぼデザインが変わらなかったことに対する残念な気持ちを持っている人もいるという
外面にこだわり、5を求めたタイプ


確かに新しいものは常に面白い
デザインにもそれが言える
けれども新しければそれでいいというものではない
デザインは常に前進するけれども、その前進のスピードは様々だ
デザインは無限だ
無限だけれども、それは自由を意味しない
利用するという機能的観点だったり、現実化するという技術的観点だったり
様々な枠組みが付きまとう
それぞれの制約の中で、デザインは永遠の変化を求めて旅にでる
与えられた制約の中では、到達点は似てくることも多い
到達点に近づけば、それは完成にされたデザインといえる
言いかえれば、与えられた制約が変化しない限り、デザインの行きつくところはそうたいして変わらないということ
完成された美しさもあるということ


そこに十分満足な美しいものがあるとき
人はさらに何を求めるのだろう
新しいものを求めるそれは、単に見あきたので、見慣れていない刺激が欲しいというだけなのだろうか
美しい物を美しいと満足する脳は、その現状のものでは満足せず、さらなる未知のものへの好奇心を駆り立てるという興奮剤を求めるのだろうか


全くありえない話だけれども、仮に中身を変えて今のままの外見のデザインでiPhone5というものを発売する場合と、中身をたいして変えず新しい外見のデザインでiPhone5というネーミングで発売したと仮定すると、一体どちらが売れるのだろう…


物事に対する興味の持続
三島由紀夫は理解できるかどうかといった観点から考察していた
他の観点からも考えてみれば、感じるかどうかといった観点
それはデザインという理解できるかどうかでなく、感じるかどうか
そういうものも当然あると思う




素朴な純情度     ☆☆☆☆
見て見てわがまま度  ☆
己の道はここにあり度 ☆☆☆☆☆