雨の日の行動

ルポライターの沢木耕太郎氏が、出社初日、雨が降っていて、自分はこのまま傘をさして会社に行って社会人になって行くのが嫌で、初日にして辞めてしまったのは有名な話


それは極端な例だけれど、自分も高校生の頃、少しくらいの雨で傘をさすのが嫌いだった
傘をもつのが面倒だとかそういう理由ではない
なんとなく嫌だっただけ


人は自然の様々な現象に合わせ暮らしてゆく
その順応性は人の人たる知恵ともいえる


高校生の頃は、自分の行動が、ちょっとしたくらいの雨でさえぎられるのが嫌なんだと、友達にいきがっていた
今思えば、笑い話
青い青い
というか恥ずかしい


大人になれば、他者と接する際に、傘嫌いだからと言って、ずぶ濡れで会うわけにはいかない
学生の頃、折りたたみ傘なんか持ち歩いていなかった奴が、社会人になったときに折りたたみ傘を持ち歩くようになった
まだ学生の友人が、お前変わったなと言ったことに対し、その社会人は、社会人になったんだから折りたたみ傘は必需品なんだよと笑いながら答えていたのを思い出す



その中を歩けば、風邪を引くこともあるし、びちょびちょして気持ち悪い
では、風邪の心配のないような暖かい日や、びちょびちょを気にしないでいいときならば…


いつの頃からか、雨の日は傘をさすことが当たり前の生活となっている自分
傘をさすことができないのであれば外にでなくなっている


いつの頃からか、自分の行動基準が天気によって左右されている
もしそのときその状況が雨に濡れてもかまわないのであれば
ためらうこと自体がおかしい
何をためらっているのだ自分は


自分の行動の基準を決めるのは雨ではないのだ
自分の意思なのだ
雨だから〜△△〜というのは2次的理由にすぎないのだ


少年の頃は雨だから△△なんで考えなかったはずだ
好きに遊んでいた

いつの頃からか知恵が付き
いらないものまで増えてしまっていたのかもしれない


雨の日にすれ違う傘をさした人々
車道を自転車で雨だからとしょんぼり運転していたら、すれ違う傘は無機質な物体にすぎないけれど
気持ちの持ち方一つで変わるもの
今日も元気で遊びんでらっしゃい、そう応援してくれていると思えば、すれ違いの傘は様々な色を持つ紫陽花の花に見えてくる


雨の中で遊んだ
でも笑顔だった
ちょっとだけ小さい頃を思い出した



サウンドは60代だよなあ度  ☆☆☆☆
ウッドストック度    ☆☆☆☆
これもブルースだぜ度    ☆☆☆