なぜ宇宙人いう言葉は煙たがられるのか

区民や市民とは言うし、都民、県民もたまには使う
けれども関東人だとか、東北人とは言わないよなあ
自治体レベルの繋がりの意識が無意識にでてしまうということなのだろうと思う


本州人とも言わないけれど、日本人とはいう
比較する対象がある程度連帯関係にある場合に、比較を意識するんだろうなあ
国ごとには政治、文化も様々だ
国ごとに、その国民はある程度、何かしらの連帯関係にあるといえるからね


アジア人とも言うけれど、ユーラシア人とは言わないな
比較する対象が大きすぎるからかな

他の星に人がいるのかわからないけれど、それと比較して地球人とは言う
地球人である以上、人はみな宇宙人だ
宇宙の中の銀河系、その中の太陽系に住んでいる以上、太陽系人であるけれど、やはり比較対象がないため、太陽系人とは言わない


人はみな宇宙人であるにもかかわらず、なぜ宇宙人であるというと煙たがられるのか
谷川俊太郎さんは、自分は宇宙人であるとよく言うが、考えてみれば、それは当たり前のことであり、誰もが当てはまること
なのに、普通の人が宇宙人という単語を発するだけで、なんだこいつというマイナスなイメージがつきまとう


もう1つの別の宇宙があるというSF的な話が現実であるならば別として、比較対象が存在しない実際の宇宙の中で、宇宙人であることを言葉にすることの意味がないといえばない
映画などで使われる「宇宙人」は、なにゆえか、地球以外の生命体を指している
考えてみれば、それはおかしなことで、地球と宇宙は併存する比較対象ではなく、後者が前者を包摂する関係にある
地球人と地球外生命体という比較なら併存する比較対象ではあるけれど、なんとなく宇宙人の方が可愛げがあるかも


誰も反論しえないことをあえていうことに意味はない
反対概念が存在しえないものを言葉にする実益はない
それは実生活では当たり前のこと
自己紹介するときに、私は地球人の○○で…と始める人はいない


意味はないけれども、それが常にないわけではないと思う
別に地球は1つだ世界平和だなどというのではない
そもそも区別することに意味などないもの、いやむしろ言葉を無意識に発してしまうことで、何かを無意識に区別してしまっているものもあるのではないか


かつてスペースシャトルの飛行士は言った
最初の1、2日は、みんなが自分の国を指していた
3、4日目は、それぞれ自分の大陸を指さしていた
5日目にはみんな黙った
そこにはたった1つの地球しかなかった


毛利さんも言っていた
宇宙からは国境は見えなかった


宇宙人
それは誰でも宇宙人
僕も君もあなたも彼も宇宙人
それを言葉にしてあえていう必要性は全くないけれど
たまには言葉にしてみるのも悪くはない
もしかしたら大きな概念で言葉をあえてとらえることで、見えなかったものが見えるときがあるかもしれない
言葉により、見失うもの、思いだすもの、いろんなものがあると思う
言葉は軽いもの、重たいもの
それは目に見えないものだけれど
それを発する人間の思考回路をも決定づける
言葉先にありき
そんなものもあると思う



踊らない踊りもあるのさ度  ☆☆☆☆☆
本当に必要なものは少ないのさ度 ☆☆☆☆
うまいかうまいかではない、別のものもあるのさ度 ☆☆☆☆