横町と横丁


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自転車で5分の所に「おかず横丁」なるものがある
表通りから横へ入った道を意味する、いわゆる横丁は「横丁」だったり、「横町」だったり、様々だが、意味に違いはないそうな

要は、メインストリートから外れた脇道がちょっと栄えたようなものか

でもなぜ、「横」なのだ?
なぜ「縦」じゃないのだ?

メインストリートと交差している横丁もあれば並行している横丁もある
アメ横などは、たぶん後者の方なのだと思う


進行方向に対してまっすぐに視線を向けたときに、その視界からズレる道を横丁というのだろうなきっと
人間の視界は160度から200度の範囲だそうだけれど
意識が集中しているのは、実際にはわずか数十度なのだろうなぁ


疑問なのはここからだ

いわゆる「〜横丁」は、小さな商店街の集まりが多いと思う
生活に密接した買いものをする店が集まる
わざわざそこまで買いに来て、というよりは、ちょっと帰り際に立ち寄って、という感覚が多いかもしれない

ということは、例えば、食品
これなどは、わざわざその日のおかずを買いに来てというよりは、通りすがりにいい匂いがしたから買ってみた
そんな感覚が多いのかもしれない

食品を買うという人間の行動

それは、資本主義社会で生きていく限り必要な行動
基本的にそれは大切な毎日の行動
そうであるとすれば、なぜ脇道に、そのような食品を扱う店が集まるのか

確かにメインストリートから外れれば、土地単価はぐっと安くなるので、小売市場にとっては、それが現実的といえる

では、メインストリートには何があるのか

おかず横丁の周りを見渡すと、小さなオフィスビルやマンションが目立つ

メインストリートには、人間の生活手段にとって大事な食品の購入という要素は少ないのだ


メインストリートの存在意義は、学校や職場等の目的地への移動経路という点にあるのだろうか
それが道路本来の役割といえばそれまでなのだけれど


いろいろな意味で、それが便利だからそうなっただけなのだろうけれど
ちょっとだけ寂しい気もする

道路は移動するための目的ではなく、手段にすぎないのであれば、その手段を多くの人が利用することで、経済的価値があがり、都市は計画化されてゆくといことになる
すなわち、目的のためではなく手段のために都市計画化されてゆく

人間の住む所をよりよいものにしていこうとするならば、目的のために都市計画化を進めたいと思うのに…



将来の子供たちが過ごすであろう、様々な都市において
そこに出来上がった都市は、人間がすごしやすいようにという積極的な目的をもって作られたものではなく、手段としてそれが便利だからこうなったのだという消極的な目的により街が出来上がる

悪く言えば惰性により出来てしまった都市
良く言えば洗練されて無駄を排除した都市


都市は、一度できてしまえば、その後数十年は変わりにくい

土地単価という現実的経済的面だけではなく、ちょっとしたものだからメインストリートではなくその横にという発想
もし少しでもそのような気持が無意識の面で影響を与えているとしたら
なんだか寂しい


無意識の面は変えることが難しい
人口の減少が原因で廃れゆく横丁はたくさんある

今の日本における人口密度の地理的な格差
その理由が経済的な面だけなら、いずれ変わるかもしれない
けれども、もし無意識の面が街づくりに影響を与えているとしたら、人口密度の地理的な格差が将来的に変わるのは難しいかもしれない


横丁の食べ物屋さんを見て、ふと考えが膨らんでしまった





楽しそうだけれど切ない度   ☆☆☆
笑顔の影に涙が見える度    ☆☆☆
空への静かな叫びが聞こえる度 ☆☆☆☆