客観的な明るさ

客観的な色
そんなものはあるのか


自分は左右で視力が違う
明るさの感じ方も違う


暗い方が標準なのか
明るい方が標準なのか


それを確かめる方法はおそらくない
自分の見ている赤い色が、実は他人の見ている青だったとしても、それが他人と違うのだということを理論的に立証しうる手段が存在しないように、客観的な明るさがどの程度のものなのかということを立証する手段はなさそうな気がする


仮に標準視力の1.5の度数で感じる明るさを平均とし、それを客観的な明るさとしても、それを機械で全く同じに数値化することができるのか
数値化しても、その数値の明るさを感じ取るのは、見ている人間
そうだとすれば、数値化しても、純客観的に明るさを定義できるわけではない


客観的な明るさ
そんなものはおそらく存在しない
ルクスやルーメンなどという単位は、あくまでも多数によって認知されるであろう平均値にすぎないということになる
それをどのくらいの明るさかと感じ取るのは、見る人の目の個体差によって差が生じる
客観的な明るさなどない
本来の明るさとは何なのか
それはおそらく意味のないもの
人間が個々に感じる明るさの度合いにすぎない
人間の目を除外して存在しうる客観的な明るさなどという概念はおそらく存在しない
人の見ていない明るさは、明るさの意味のない無意味なもの
太陽が降り注ぐ自然界の明るさ
それは誰かが見るからこそ明るさを計ることができる
誰も見ていないとき
それは、明るいけれど明るくない、そういう状態
明るくてもなにも数値化できない
誰かが、何かが、その明るさを見ない限り、明るさを定義することはできない
しいて言えば、明るさも「我思う故に我あり」


客観的な明るさに伴う客観的な色とは
明日以降の思索に続く



世界はどこかに続くのさ度    ☆☆☆
世界のはしはどこかにあるかも度 ☆☆☆
世界の中心はどこなのだ度    ☆☆☆☆