視覚と聴覚で感じることの違い 2

視覚と聴覚の違い
それはどこにあるのだろう

危険を察知する質と量
得られる情報
それはどのような違いがあるのだろう


目で見るということ
それは何を意味するのか
耳で聞くということ
それは何を意味するのか


目で見るということ
それは光であり、その違いに基づく色であり、物の形を区別している
耳で聞くということ
それは空気の振動であり、それに基づく音である
ぱっと思いつくのはそんなところか


それだけであるならば、運転しているときは、対向車なり、歩行者なりを視覚で認識することができれば、事故はかなりの確率で防げそうだ
視覚による危険情報から漏れるわずかなものは、クラクションや自転車のベル、人の叫び声等の音による危険情報で補う程度でよさそうである
けれどもそんな単純なものではない気がする
はたして聴覚による危険情報は、視覚による危険情報を補うといった程度のもの、言い換えれば、質は同じで量の違いなのか


ヘッドホンやイヤホンをして外の音を完全にシャットアウトして運転するということ
それは言ってみれば、昔のサイレント映画を見ているようなものだろう
あのサイレント映画と通常の映画の違い
音があるかないかで何が違うのか
サイレント映画を見ている時の現実離れした不思議な浮遊感
そこに違いがある
あの浮遊感
それは時間の感覚がずれるよう気持
動いているのに時が止まっているかのような静けさ


そう、音は時間を感じるひとつの道具なのではないだろうか
いや時間を肌で感じることができるのは、音だけなのではないだろうか
ドップラー効果がまさにそれだ
遠いところの音は低く感じ、近いところの音は高く感じる現象を説明するドップラー効果
この効果があるからこそ人は聴覚により時間を感じることができるといえると思う
あまり聞かないけれど、ドップラー効果と時間の体感はかなり親密な気がする
光のドップラー効果もあるけれど、運転していて、色の差を感じるほどは差異を感じにくいと思う



音であれば、遠い音は低く感じ、近くなるにつれ音は高くなる
よく言われる救急車が通りすぎるときのサイレンの音を思い浮かべればよくわかる


音、それは時間を感じることができる一つの手段
対向車が近づいてくる
それを視覚で感じ危険を察知することはできる
対向車が近づくにつれ視覚に映る車は大きくなり、危険を察知することはできる
色の違いまでは分かりにくいと思うけれど、単なる大きさの違いはわかる
けれどもそれがあっているのか間違っているのか、情報の正確性を担保する必要がある
同じ質のものを上塗りしても、正確性の担保は弱い
異なる質のものを使い、違った角度で情報の正確性を担保できれば、その危険判断の情報は正確性を増すといえる
そう思う


それゆえ、運転していて音も聞こえたほうが危険判断はしやすいのではないか
耳は単なるクラクション等を聞くことにあるのではなく、クラクションの音、車のタイヤのロードノイズ、風切音、その他のもろもろの音から、コンマ何秒後かに何かが近づいているという判断ができる
一瞬の理論上のある一時点の音そのものではなく、現実世界の一定の時間の中に存在する音の変化を聞きとることで何秒後かの未来を無意識に判断している
そういうものなのではないか
何秒後かの未来の危険をドップラー効果により判断できているのではないか
そういった時間を感じ取ることが瞬時にしてできることから危険をあらかじめ察知し、危険を回避できる運転ができるのではないか


むむむなんだか難しくなってきた
あれこれ考えてはみたものの、実は視覚は単なる疲れから危険情報の収集能力が退化するから、耳でもちゃんと聞いてね
そんな程度だったりして…



ついに1アーティスト1タイトルの縛りをやめた
そうすると、2曲目は何と言ってもこの人からだよなあ

俺は俺で行くのだ関係ないさ度 ☆☆☆☆☆
考えているようで、そんなに考えてないかも度 ☆☆☆☆
いつもおすまし、たまには笑えよ度 ☆☆☆☆