子供の描く絵

世界中の子供の絵を比較しても、特別にうまい子供の絵を除いて、一般的にはどれも同じような絵が多い
技量としてどれも似たり寄ったりということ
例えそれが、アフリカの子供たちであっても、日本の子供たちであっても、そうたいした差はない


ある一定以上の大人になると、その地域その地域で特徴づけらる絵が多くなってくる
特に顕著なのは色使い
アフリカの人の描く絵は、原色系が多い
日本の場合、淡い色使いが多い


その地域その地域で異なる気候の影響が大きいのだろうなあ
天候の変化のないアフリカなどは、目にする自然のものもきっとはっきりしているのだろうなあ
日本などは四季おりおりの風景があるので、目にするものも淡いものが多くなるのだろうなあ


子供の描く絵は、なにゆえ同じようなものなのだろう


感じたものをどう再現するかという方法は技量によることになるだろうけれど
色使いの違いなどは、大人と子供で、絵を描く技量にそう違いはないと思う
色使いは、見ている本人がどう感じるか
それだけだもの
赤を赤と感じ、それを赤い色で再現する
そこに技量の差は感じがたい
様々な赤い色の微妙な違いを正確に再現するということは技量によるけれど
赤い色と感じたことを、それに近い色で再現することでは技量の差はないと思う
そうであれば、アフリカの風景を見ている子供たちの描く絵と、日本の風景を見ている子供たちの描く絵が同じようなものになるというのは、どうしてなのだろう
違う風景を見ているのに、同じような色彩になる理由


目で見ているもの
子供が見ているものと大人が見ているもの
それは同じ
けれども、見ているものをどう感じ取っているかは子供と大人は違う
おそらく大人の方が、微妙な色の違いに気付くはず


子供が見ているもの
大人からすれば、明らかに違うと見えるものであっても、子供にはその違いが見えていないのか
色は客観的なもの
味覚が年齢とともに発達して微妙な違いを認識できるようになるのとは違う
視覚は年齢とともに発達して微妙な違いを認識できるようになるものではないはず


見ているけれど見えていない
もしかしたら、見るというその行為
それは見ているだけではなく、見たものを情報として脳に送り込むことで、脳が与えられた情報を分析し、判断するという過程を得ているものなのかな
子供には微妙な色の違いを意識する経験がない
その経験不足のゆえに、見ているものを、見ているとおりに判断することができないのではないか
見ているものを見ている通りに判断することができる能力
それは子供が大人になるという1つの発達の度合いを指し示すものなのかなあ



彼らは今いずこ度    ☆☆☆
曲名と画像がムムム度  ☆☆☆☆
この1曲で彼らは残る度  ☆☆☆☆☆