人は何故初詣に行くのか②

昨日の続き
人は何故初詣に行くのか

神道と仏教
単純に思いついただけで、似ているところはあまりない
それにも関わらず、どちらにも初詣に訪れる
それは初詣そのものに対し、人は宗教的意味は見出していないということ
それゆえ神道だろうが仏教だろうが関係ないため、神社でも寺でもどちらでもよい
神社や寺の側でも、来てくれてお賽銭をたくさん投げ込んでくれれば、それでよいわけで、仲店も繁盛してよい
訪れる人の側のみならず、受け入れる側でも宗教的意味合いはおそらくほとんどないはず
宗教的意味合いがないのであれば、人は建物そのものが目的で訪れることになる


では何故人は、建物を目的として初詣に行くのか
人は建物に何を求めるのか


普段の生活では見る機会が少なくなった見た目が古い建物ということであれば、馬篭でも白川郷でも姫路城でもよいはず
けれども初詣を目的としてそこに訪れる人はおそらくいない
そこに訪れるのはおそらく観光が目的
とすれば、初詣は古い建物を見たいという目的ではないことになる


では、多くの人が訪れているから、なんとなく興味をひかれたという理由はどうだろう
例えば、街中を歩いている時に、行列を作っている飲食店を目にすると、あそこはおいしいのだろうかと誰しも思うだろう
今度行ってみようかと思うこともあると思う
初詣にこれが当てはまるかというと当てはまらない気がする
初詣はどこも混んでいて、ガラガラであれば行ってもいいけれど、という自分のようなタイプも多いはずだ


といういことは、初詣に訪れる理由は、古い建物だからでもなく、他の多くの人が行くからという理由でもない
実際に古いかどうかではなく、建物そのものの形に、人は何かしら惹かれるのだろうか
いわゆる美術品を鑑賞するように


訪れる人のうち、どれだけの人が「今年1年〜〜でありますように」と祈るのだろう
困った時の神頼みという言葉があるように、何かを頼みたいという気持ちを持つ者が多くいることは否定できない
また、困っていなくても、家族の健康や安全をお願いする人は多くいるはず
そもそも何かしらを祈願することは、何らかの対象物が存在するはず
その対象が建物という物理的な有機体のみを差しているとは考え難い
祈願する人は、その実現に向けて何かしらの期待をその対象に込めるはず
建物という物体そのものではなく、建物自体に何らかの意味を込めていることを当然の前提としているはず
その対象が実体のない者であれば、祈願するという行動は宗教と言っていいのではないか
ただ、訪れるすべての人が何かしら祈願しているとも思えない
訪れるだけの人もたくさんいるはず


人は何故初詣に行くのか
考えると難しい
また次回に続く




優しさの中に切なさがある度     ☆☆☆☆☆
これで一発という意気込みも不思議度 ☆☆☆
いいさ、そんなもんさの達観度    ☆☆☆☆