運転と携帯電話②

昨日の続き

運転中の携帯電話は、なぜ危険なのか
危険なのは当然として、その理由は何なのか


片手運転が危険なのは当然だけれども、それだけでは携帯電話のみ取り締まることに多くの人が暗黙のうちに納得がいく理由がない
両手をフリーにしてヘッドホンでの電話ならいいではないかということになるけれど、両耳をふさぐヘッドホンでの運転は、確か自治体ごとの条例により取締があるはず
あくまでも認められているのは、確か方耳のハンズフリータイプのみなはず
運転中、おにぎりを食べたり、缶コーヒーを飲んだりすることは、好ましい事ではないけれど、法的規制まではしていなかったはず
あくまでも自主規制にとどまる


さて、これらの違いは…


携帯電話での通話
他者がそれをおこなうとき、昨年自分は、それは片方の会話しか聞き取れないことで、会話が理解できないことに対する恐怖による不安感と結論付けた
そしてその後のアメリカの研究では、会話の半分にか聞こえないと予測がしにくく、注目の対象をそらすことが困難になると推測していた


これらは、携帯電話を他者が使っているとき、それを見ている他人がどう感じるかの推測
運転中の携帯電話の使用の事故率が4倍になるという統計がある程度信用できるものであることを前提するならば、缶コーヒーを飲む以上の危険性が存在するはず


缶コーヒーを飲むことと携帯電話の使用との違いを考えてみる
缶コーヒーを飲んでも、運転中の意識はおそらく運転に集中している
缶コーヒーの違いにより、この成分の違いは…などと普通の人は考えない
これに対して携帯電話の利用
これは会話に集中することになる
その分、ある程度の集中力は運転からそがれることは否定できない


ただこれだけなら助手席に座っている人と会話する場合との違いが説明できない
片手運転があぶないのは当然だが、ヘッドホンで耳をふさぐ運転も禁止されている以上、片手だけが理由ではない
ヘッドホンだと外の音が聞こえないからというのであれば、カースステも取り締まりの対象にしなければおかしい
車の外の音が完全に聞こえないとすると、それはそれで危険だ
危険は目だけでなく、耳でもキャッチしている
けれでも携帯電話で片方の耳だけならば、外の音は聞くことが出来る
にもかかわらず、運転中の携帯電話の通話は4倍危険であることを数値が示している


他の条件と携帯電話での通話の違い
それは通話している人間が、見えない相手と会話をしているということ
ラジオを聞くのとは違い、会話は双方でやりとりをすることになる
助手席の人と違い、目に見えない人と会話をしていることになる
半分の耳で会話をし、半分の耳で外の音を聞く
見えない相手との通話
それは、おそらく考えている以上に、無意識に集中力がその会話に注がれているのではないか
表情が見えない分、無意識にその表情を読み取っているのかもしれない
それは意識していない
けれども電話で1時間話をするのと、面と向かって1時間話をするのとでは、前者の方が疲れを感じるはず
同じ会話なのにだ
そうだとすれば、見ていない人との会話は、通話相手の表情が読み取れない分、会話に過分な集中力がいっているのではないだろうか
見えない相手との通話
それは第三者から見れば、会話の内容が一方通行にしか聞こえないため内容を理解できない恐怖、不安
これを通話本人の視点から見ると、自分の通話が相手にきちんと理解されているのか、表情から確認しようがないという、ある意味一方通行とも言えなくもない恐怖、不安
パソコンだって、文字や数字のみという2次元の世界を映像という疑似3次元にするには、ものすごいデータを必要とする
それがホログラムや3D画像ともなれば、さらなる膨大なデータが必要となる
見えない相手との通話をする際、人間の脳の内部で、膨大な神経が働き始めるのではないか
そのため見えない相手との会話の方が、見える相手との会話より集中力をもっていかれるのではないか


見えないことに対する恐怖、不安
それは人間の持つ本質的なものなのではないか
その恐怖、不安が顕在化するかどうかは別として、日常生活の様々なところに現われている気がする


ホラー映画は好きではないけれど、恐怖をあおるときは画面がいつも暗い
これも同じ理由で、たまたまそれが顕在化して誰でも気付き安いだけではないか
明るい場所でのお化けじゃ、誰だって怖さ半減だもの


運転中の携帯電話の通話
見えない相手との会話により、気付かぬうちに脳の内部で普段以上の集中力がそこに注がれ、運転から集中力がそがれる
それが理由なんじゃないだろうか






まだジャズっぽかった頃だね度     ☆☆☆
口の動きが歌のスケールを表すかも度  ☆☆☆☆
視線がクールねこっち向いて度     ☆☆☆