虹の色

虹は7色なのか?
聞かれればYESと反射的に答えてしまう
けれどもよく見れば6色にしか見えないという
英語圏では6色だという
なんでもニュートンが光の研究をしていたときに、神秘の意味を表す7にこだわって6色に、すみれ色を加えたという説が有力だとか


小さいころから、何の疑問も持たずに思い込みで虹は7色と決めつけていた
誰かに教えられたからなのか、絵本にでも書いてあったのか、今では覚えていない


小さい子供に太陽を描いてもらうと、赤の色鉛筆で丸を描き、周りに縦線を並べるのが大半
よく考えてみれば、赤い太陽なんて、そう見られるものではない
昼間は白だし、夕焼けのときでもオレンジ色

それでもみな太陽は赤い色鉛筆で描く
大人であればまだしも、小さい子どもが赤の色鉛筆で太陽を表現するのはなぜなのだろう
それは大人が教えたからなのだろうか
はい、○○ちゃん、お日様は、赤の色鉛筆を使ってねと
小さい子どもはそれを疑いもせず描き出す


小さい子どもの方が大人より素直
何のしがらみもないので、見たまま、感じたままを描き出すはず


見たまま感じたままを描くことは、意外に難しい
小さい子どもが動物を描くと単純に平行に4本の足を並べる
人は、子どもも含め、特徴しか見ていないからそうなる
すべてを見ることは極めて困難
目には映っていても、それを意識できることは実はほとんどないのではないだろうか


例えば、大人だって、現実に今、視界に入っているものを、どれだけ「見ている」といえるのだろうか
左右上下でそれぞれ170度位は視界に入っているけれど、その中でいったいどれだけのものを人は「見ている」と言えるのだろう
高速域での車やオートバイの運転であれば、さらに「見ている」範囲は狭くなる
意識が目の前に集中すればするほど、他の部分は「見ていない」こととなる

「見ている」つもりで「見ていない」
たくさんありそうだ


それが意識の問題ならば、すべてに集中すれば、今より多くのことを「見ている」ことができるのか
意識の問題ならば、慣れればある程度今より多くのことを「見ている」ことができるようになるのかな
F1ライダーなどは、一般の人よりも、運転中の視界は広いのだろうか


文字だってそうだ
慣れている日本語ならば別として、見慣れないアラビア文字などは、一度見ただけでは、再現できない
外の世界と違い、視界は文字という小さなものに集中しているにもかかわらず、見きれていない
見きれていれば、一度見れば再現できるはず


いや、慣れている日本語だってそうだ
文章をゆっくり読んでいても、思い込みで読んでしまうこともある


「見ている」ということ
実は思い込みで、自分の都合のいいように「見ているつもり」になっているだけのような気がする


虹の色、かつての日本は5色だったこともあるらしい
英語圏の6色が客観的に本当なのかも実はわからない


客観的な虹の色なんて、意味のないものなのかもしれない


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