批判する精神④

どうすることもできない地震が発生した
津波で多くの方が被害を受けた
そして今なお、放射能という被害が続いている

国内外を含め、何とかアナリスト、何とか批評家は言う
こうすれば、被害はもっと少なく済んだはずだ
ああすれば、地震の後、助かった人もいたはずだ

それに何の意味があるというのか
現在進行形の救助活動や回復作業に対し欠点を批判し、代替案を提示するのならわかる
または現在の失敗を今後に生かすためというならまだわかる
しかし今後生かすためとは思えない発言が多すぎる
終わってしまったことに対し、今さらこうすれば助かったはずだと気軽に述べたところで何の意味があるというのか
上からの指示で、現場で文字通り生死をかけて働いている人がこれを聞いたら、一体どう思うか考えているのか

大震災後の現在の報道
特にラジオや活字メディア
多くの何とかアナリスト、何とか評論家らが様々なコメントをしている
各メディアが独自性を強調するため、様々な内容の趣旨が語られる
各分野の技術的専門家が政治的な話をしたり、逆に政治家が化学専門的なコメントをしたりと、いろいろ大変そうだ
それらは本来の立場を超えて発言をしている
自分の立場からの考えをもとにした様々な批判的コメントも多い
それを求める人がいるからこそ、口がすべってしまうのであろうから、自分たちのような視聴者、読者にも問題があると思う

なぜ人は批判するのか
なぜ人は批判を求めるのか

ニュースに求めるのは事実とそれに伴う専門的な評価
そしてこれらに他の意見があることが求められる
自分と同じ意見のみなら聞いても仕方がないものね
事実には評価を伴う
客観的事実だけでは、おそらく大した意味はない

例えば交通事故
1年で100万人が事故に有った
そういったデータ自体は客観的な数値だけれど、それ自体は意味がない
100万人という数値を、何かと比べて多いのか少ないのか
それが前年度の数値と比べたり、他の国と比べたりして、多いのか少ないのか、またそれにより、何を伝えたいのか
事実から得られるその伝えたい何かに評価が必ず入る
評価が入って初めて事実は意味をなす

この評価があるからこそ、反対の意見が生じうる
同じ事実でも、違う評価は必ずあるから

違う評価が存在するがゆえに、反対意見の意味がある


批判する精神
人はなぜ批判をするのか
人はなぜ批判を聞くのか

考えたら、やたら難しくなった
明日以降の思索に続く


まさに焔だ魂だ度       ☆☆☆☆☆
横向きどこ向き頭はいずこへ度 ☆☆☆
軽さも渋さもくそくらえ度   ☆☆☆☆☆