伝えることの難しさ

今日、雪が降っている町があると聞き、ふと思い出した
とても悲しい話


聴覚障害の子供が窓の外を眺めると雪が降っていた
雪を楽しみにしていたその子供は興奮してお母さんに手話で聞いた
お母さん、雪だよ雪 
ねぇ、どうしてお母さんは、僕に雪が降っていることをすぐに教えてくれなかったの?
母さんは言う
気付かなかったのよ
子供は不思議そうに聞く
どうして?お母さんは耳が聞こえるんでしょ?
疑問に思ったお母さんは手話で聞き返す
どういうこと?
子供はむきになって答える
雪はしんしんと降るんでしょ?本にそう書いてあったじゃない
あれは嘘だったの?
しんしんと音がするんでしょ?お母さんは僕に嘘をついたの?
どうして?教えてくれないの?
興奮した子供は、涙を流しながらお母さんにくってかかる
僕が楽しみにしていた雪のことをなんで黙っていたの?


子供の問いかけに対し、何も言うことができないそのお母さん
お母さんは自分ではどうすることもできない
雪が降っていることを
けれども音がしないことを
お母さんは、自分の子供にどうしたら伝えることができるのだろう
しんしんと音がすると本には書いてあっても、実際には音はしないことを
お母さんはどうやって彼に伝えればよいのだろう
お母さんはどうすることもできない
自分では当たり前と思っていることを
自分の子供には、それを伝えることができない
彼がどんなに不安でいるかを
お母さんは、想像でしかすることができない
彼の本当の不安は、耳の聞こえるお母さんには永遠にわからないかもしれない
想像することはできる
けれどもそれは想像でしかない

人はわからないことがあると不安に思うもの
わからないことを気付けは、解決したときにはその不安は解消する
けれども何がわからないのか、わかるのかそれすらもわからないときがある
自分の子供であっても
毎日一緒に生活をしていても
自分にとって当たり前のことが、人には当たり前でないことがある
彼が何をわかっているのかもわからず
ただひたすらお母さんは、後追いで悲しむしかない
事前にそれを防ぐことは決してできない
自分の子供であっても、お母さんは、彼に対して無力でしかない
それに気付かされるお母さんは、自分の無力、今後の不安
そこには様々な複雑な感情がつきまとう


ハンディキャップを持つ子供のいる親が思う共通の思い
それは、宝くじが当たって裕福になるとか、美味しいものを食べたいとかそういったものではなく
たった1つ
いつの日か、子供より先に自分が亡くなり、子供は一人になるときの将来への不安
それはどうすることもできない避けることの出来ない不安
ハンディキャップが治ることができないのならば自分はもう何も望んでいない
望んでいるのはただ一つだけ


それが許されるならば
たった1日でいい
この子より1日長く生きていてあげたい


そのお母さんも同じ気持ちで涙を流して彼を抱きかかえた
けれども彼はお母さんがなぜ泣いているのかわからない
彼は雪が降っていることをお母さんが隠していると勘違いして怒っている
自分は怒るけれど、その怒ったことに対してお母さんが隠したことを謝っていると勘違いしてしまう
お母さんは決して隠していたわけではない
気付かなかっただけ
彼が楽しみにしていたことを決して隠していたわけじゃない


自分が当たり前と思っていることを相手に伝えることができないとき
その伝えることができないでいることに気付くとき
またそれを気付かないでいるときがほとんどであるということに気付くとき
コミュニケーションの難しさ
他人の気持ち
自分の気持ち
それを理解しあえる難しさ


あるものごとを当たり前と思うのは、ときに自分の独断でしかないこともある
何かあって初めてそれに気付くことが多いのが現実ではあるけれど
そうしないと気付かないことが多いということの限界が、ときに切なさを呼ぶ


当たり前と思いこんでいることの認識
とても難しいと思う



1:40秒までは、いらんな度   ☆☆☆☆
ナルシスト文句あるか度    ☆☆☆☆☆
そんなに自己主張しなくても度 ☆☆☆☆