読書③

人は、読書にリアリティーを求めるのか


仮に漫画を例にして考える
最近の漫画
手塚治虫の頃とは違い、人物描写や背景の描写力は比べ物にならないくらい描写力は上がっている

かつて手塚治虫は、大人が漫画なんか見るもんじゃないと言っていた
あくまで漫画は子供向けだった
今は、大人向け漫画もある
大人が漫画を見るときに、熊のプーさんのような絵では楽しめない
絵のみならず、ストーリーも巧妙だ
大人が読むため、描写力も内容もリアリティーが要求される


では、描写力にリアリティーが増せば増すほどいいのか


リアリティーを要求するならば、写真を使えばいい
けれども写真は使わない
そればかりか写真を使って、それに色を付けて筆で描いたように見せているものもある
写真を使わないのは、写真では納得しないから
では誰が納得しないのか
描き手なのか、読者なのか
描き手は、漫画という媒体を使って何を表現したいのか
読み手は、漫画に何を求めているのか


もしかしたら、写真より、絵の方が物理的な情報量が少ないため、脳に刺激を与えることが比較的少ないのかも
視覚として、脳に情報を送る絶対量が少ないため、写真よりは絵の方が疲れないということもあるのかもしれない
何も考えていなくても、あたりを見渡すだけで、視覚として感じている情報を脳に大量に絶え間なく送り続けている
それは疲れることだと思う
その疲れを安めたいという気持ちがあるのかもしれない



仮に、医学的にそれがあったとしても、それは無意識のレベルの話
リアリティーを要求しつつ、リアリティーを要求しない意識的理由がどこかに存在する
意識的理由として、積極的な意識とは言えなくても、少なくとも消極的な意識として、必ず理由はあるはず


読書、漫画、映画、それは多少の程度の違いはあれ、表現の送り手と受け手が求めるものは、それぞれ同じものがあると思う


人はこれらに一体なにを求めているのか


明日以降の思索に続く




静かな彼の叫びもまた心地よいさ度  ☆☆☆☆☆
楽しく激しく、彼らしく度      ☆
音の響きが映像度          ☆☆☆☆