民族と時間②

昨日からの続き


民族どうして変わらないもの
民族と時間


一週間を7日に分けた
カレンダーは、多分どこの国でも一緒
イタリアなどには、数字が縦に並ぶカレンダーもあるし、国によっては何曜日から始まるかの違いもあるけれど
一週間は7日
週末=休み、週明け=月曜、という日本語の言い方だと、月曜から始まり日曜日で終わると考えるのが自然
なぜかカレンダーは日曜日から始まり土曜日で終わっているけれど


宗教の違いが影響し、金曜日が休みだったり、土日が休みだったりで、いつが休みかもいろいろ
日本の多数派が土日が休みになったのはいつからなのかな?
昔の日本人は、休みの日というものはあったのかな?


カレンダーは何曜日から始めているのか、休みの日はいつなのか、それはバラバラ
でも一週間が7日は共通
1年を12分割するのも共通
1日24時間も共通


24時間
それは人間が決めたもの
日本の江戸時代は12時間間隔 


人間が決めたもので生活時間が変わる
自然に決めたものではなく
人間が決めた時間に生活は縛られる
時計を見て時間通りに動く


お腹が減ったからご飯を食べよう
これは自然
〜時だね、そろそろご飯を食べよう
これは不自然
でも多くがそうなる
日本では12時になればお昼が一般
人間が決めた時間にお昼
自分の胃袋も、その人間が決めた時間に拘束されていく
それに慣れていく


民族の違いにより、食事も様々
1日に何食を食べるのかも様々
休みの時間も様々


それでも時計を持つ生活の中では、時間を気にしながら生きていく
それはボーダレス時代の現代だけではない
何百年も前から時計は生活の中に存在する
遡れば、太陽の光を利用した日時計に突き当たる
いつも人間は時計を利用してきた
それは人々が生活の中で時間という概念を必要としたから


異なる生活環境や価値観の中でも、時間の使い方だけは価値観を共有しえた
食事の時間や就寝時間という生理現象までも、身体の欲するままではなく、時間がそれを整理してきたといえる
人間の本能ではなく、人間が作り出した時間という概念によって整理される
それは理性
本能のみで動くと予想される動物と、理性を持つ人間との違い
それは、時間を意識して管理するかどうか
自分の行動を、太陽が沈むかどうかだけではなく、太陽の動きを基準とし、一定の間隔を分割して時間という概念をとらえることができる能力


民族と時間
理性は民族を超えて共通するもの
だからこそ、異なる民族でも時間を共通し得るのだろうなあ


時計のないくらし
現代にもそんな生活をしている民族もいると思う
彼らはどうしているのだろう
本能で暮らす生活なのか
ちょっと覗いてみたい気もする



音楽だけじゃつまらないな度      ☆☆☆☆
歌詞がわからなくても映像でわかるな度 ☆☆
この人、映像にいつもこってる度    ☆☆☆