民族と時間

民族と言葉は違う

では民族どうしで共通性も有するもの
価値観の共有
それは時間


日本の江戸時代は、丑三つ時などというように、一日を干支で分けた12分割
現在は地球の自転を24分割して1時間とし、さらに1時間を60分割して1分とする
これは世界共通
ものの長さの単位はいろいろあれど、時間は同じ
太陽の位置により、各国の時間は違えど、単位は同じ
その国で使われる時計が表示する現在の時刻が違うだけ
秒も違うのかな
iPhoneなどで、世界各地の時間を比較すると、秒針は同じところを指すけれど、これは機械の性能上のことなんだろうなぁ
実際はおそらく秒も違うのかな


どの国でも、呼び方は違えど、一日の24分割という基準単位は同じ
なぜなのだろう
便利だから?


確かに江戸時代とは異なり、世界はボーダレスの時代と呼ばれる
時間の単位が異なれば、いろいろ不便
なので、世界標準で時間の単位を決めているのだろうなあ
個々の民族の価値観
そこは一日24時間であることに妥協しているのか
他にこだわりはないのか
いや、うちらは一日を36分割して生活しています
そんな民族があっても不自然ではないと思うのだけれど
世界各国を見渡しても、それはなさそうな気がする



民族ごとに言葉はそれぞれ異なる
言葉の差異が、自らの意思によるものならば、おそらくエスペラント語は有効だろうけれど
各地域にある気候、風土などから影響する言葉の変化、生活の価値観の相違
そういったことを理由に、一致したくても一致できない壁があるのだと思う
その点でエスペラントの実現は、理想で終わってしまう
同じ言語でさえ、方言の差異が生まれる以上、他の言語であれば、なおさら一致は難しい
異なる理由が、人間の意思によるものでないならば、一致することは困難なのだから


これに対して民族どうしで時間は同じ
時間
それは概念
人間が決めた1つの単位にすぎない
価値観の異なる民族どうしでも、人間が決めその単位を有効として生活の中に取り入れる
赤道直下と、北欧などは、日照時間がかなり異なるのだから、時間の単位は異なってもいいようなものの、おそらく同じ
一日を24分割した決まりごとにしたがって作られた、人工的な時計というものに縛られて生活する
時計を使わない地域の人たちは、この24分割の概念は持ちえないと思うけれど、時計を使う生活をしている地域ならば、世界のどこであっても24分割


12進法の方が、2、3、4、6という数字で割り切れるので、いろいろ便利とされているけれど、普段の生活の中では数字は10進法が一般に使用されている
そうだとすれば時間に関しても、1日を10分割してもいいようなものの、12分割
昔の干支を基準にした時の表し方は、どこかの国から来た時計を元にして作ったのかなあ


民族と言葉
それは民族どうして異なるものであった
民族どうしで共通性を有するもの
民族と時間
これも考えるとなかな難しそうだ
明日以降の思索に続く


スーパーボールのコマーシャル、実際に見たかった度 ☆☆☆☆
映像が違うと同じ音楽でも印象が違う度       ☆☆☆☆☆
この人、いつも下を向いているんだよなあ度     ☆☆☆