民族と言葉④

昨日からの続き
民族と言葉
その関係は考えると難しい


大阪が、何らかの価値観を共有している人間が多いとの仮定が当たっているとしたら
その価値観を共有する人たちの間では、思考過程や思想が共通し、言葉も似通ってくるはず
同じことを同じように感じるのであれば、意思の伝達は、同じ言葉を使うはずだから


他県から移住した者が、仮に最初は異なる価値観を有していたとしても
その集団の中にいるうちに、いくつか価値観を共有するものが生じる
その集団の使う言葉にひたることにより、その集団の価値観を吸収する
吸収された価値観により、新たに移住してきた者も、いずれその集団の言葉に慣れて、自分もその方言を使うようになる
集団の価値観は、その集団に参入する者に、その価値観を無意識に、そして自然に押しつけることとなる
その押しつけれらる価値観になじめない者は、おそらくその集団から、出たくなるに違いない
良かれ、悪しかれ、集団は、何らかの価値観を共有することによりその存続が成り立っているといえると思う


この場合には、価値観を共有する集まり、文化的共同体としての民族
その民族が、新たに参入した者の使う方言としての言葉を作る
すなわち民族が言葉を作る
そういう関係にあると言えるのではないかなあ



民族と言葉
民族が言葉を作るのか
言葉が民族を作るのか
それぞれ考えてみたけれど、なかなか難しい


民族どうしで異なるものを考えてみた
それが民族と言葉
反対に、民族どうして同じものもあるはず


その同じものとは
明日以降の思索に続く


出演の彼は、誰じゃい度          ☆☆☆☆
モダンと違うジャズがある度        ☆☆☆☆☆
汗のない、真剣な勝負のないジャズもある度 ☆☆☆☆☆