民族と言葉②

昨日からの続き


民族と言葉の関係
昨日考えた推測によれば、言葉が民族を作る
そんな気がする


逆も考えてみる
たとえば、日本
日本の中では日本語が通じるといっても、おそらくそれは建前
アメリカ人が、日本語を勉強してきて、青森や大阪に行っても、勉強したものと、イントネーションや、言葉の細かい部分が違うと戸惑うかもしれない
海外で勉強してきた教科書日本語では100%は聞きとれない
いわゆる方言


方言がなぜできるかということも考えると面白いかもしれない


方言
文法上、同じ言葉を使いつつ、地域によって細かい部分が少しずつ違う言葉
なぜ方言は生まれるのだろう


例えば都市部と山間部
都市部、そこは人口密度が集中し、様々な仕事、遊び、それに付随する様々な生活スタイルがある
考え方も様々な人たちが集まる
言葉も様々
そんな中で、個々がそれぞれ独自の言葉を発していたら、話が進まない
会話ができない
それゆえ、そんな都市部では、共通の言葉が必然的に要求される
ちょうど江戸時代に、全国から職人が集まった江戸で、江戸弁が要求されたように


共通の言葉を要求される場所
そこでの時間の流れはどうだろう
そこに流れる生活時間


様々な人が集まれば、そこで行われる社会生活も様々なものとなる
同時にいろいろなことが起こりうる
そこに流れる生活時間
いろいろなことが起これば起こるほど忙しく感じる
そこに流れる生活時間
おそらく感覚では忙しいもの
時間の流れの速いもの


そんな生活時間の感覚の中で、言葉はどう変化するか
個々人がゆっくりしゃべっていたら、時間の流れにおいていかれる
そんな生活の中では、おそらく言葉ものんびりとしたものにはならないと思う
まったりとしたイントネーションにはならない気がする


都市部と山間部、人口密度が高い所と低い所
それらの場所では、おそらく言葉のスピードが違ってくるのではないか


方言が生まれる理由
まだ他にもありそうだ


明日以降の思索に続く




カラフルリズムでお目めパッチリ度  ☆☆☆
カラフル過ぎて目薬必要度      ☆☆☆
ビートも独特、個性も刺激度     ☆☆☆☆