ハンディキャップ

スタッフ ベンダ ビリリ
http://bendabilili.jp/

Buena Vista Social Clubのコンゴ版かな


少年は語る
コンゴ
ここはコンクリートジャングル
人の物を盗んで生活してゆく


少年は言った
ヨーローパは神様が造った街だ
コンゴは、そこと比較するために造った街だと


確かに、同じ人間が住むには、差がありすぎる
コンゴとヨーロッパの街並みを比較すれば、誰だってヨーロッパの方がいいというと思う
コンゴ
そこは壊れた建物と埃だらけの街

神様に頼らなきゃ生きていけないような街
自分自身ではどうすることもできない貧しさのあふれる街


恥ずかしながら、コンゴがどれだけの経済事情なのか全く知らない
ポリオという病気も知らない
聞いた話、映像で見た話、どれも伝聞でしか知らない
自分は何も知らない世界がそこにある


足にハンディキャップを負った爺様が歌う
親御さんたちよ。子供に予防注射を打ってくれと


悲しげに歌うのではなく、
陽気に歌う
そこが印象的


脚にハンディキャップがあるチーム同士のサッカー
選手たちは、手で体を支え、もの凄いスピードで手を使って移動する
勝ったときのあのみんなの笑顔
カメラに向かってガッツポーズ
そして試合を観戦していた多くの人たちも、両手をあげて、勝利を喜ぶ


もしそれが日本だったら…
ハンディキャップを負っている人がここまで明るくなる場所があるだろうか
ハンディキャップを負っている人が何かをやっているその姿を見て、決して見守るのではなく、健常者と同じように純粋にスポーツとして、見る楽しさを味わっている人々は、どれくらいいるのだろうか


ハンディキャップを負う人の人数の違い
健常者との比率の違い


コンゴ
そこで彼らはハンディキャップを負っていることに、辛さはあっても、どこか達観している
もちろん不平不満は見える
生活の貧しさから、子供たちは犯罪に走る
でも日本とどこかがちょっとだけ違う
ハンディキャップでいること、ハンディキャップを負う人が周囲にいること
その個々の感じ方が、日本と異なるものであることは明らか


それが良いとか悪いとかではなく
ハンディキャップのとらえ方が違う


どんなに外野がきれいごとを言っても、
どんなに本心からでも
きれいごとであればあるほど、本人には辛いこともある
第三者の優しい言葉が辛いこともあると思う
気持ちの持ちようだと?ふざけるなと…お前にわかってたまるかと…
自分が彼らと同じ状況だったらすぐそうなってしまうかもしれない
他人と比較し、嫉妬してしまうかもしれない


彼らは違う
確かに彼らの視線にはある種の諦めのものを感じ取れる
けれども他人をねたむような卑屈さは少ない
なぜなのだろう


迷っていても何も変わらない
嘆いても何も変わらない
自分で何かをしなければ変わらない
彼らはそれを小さなころから教えられて育っていくのだろうなぁ


「ベンダ・ビリリ」
外面をそぎ落とすという意味だという


彼らはいう
外面は不自由だけれど
内面は不自由ではない


爺様は歌う
俺が歌わなければ子供たちに何が残るんだと意気込んで爺様は歌う
不屈の陽気さで路上の真実を歌う


CD録音という幸運が舞い込んで録音真っ最中に、火事で住む場所が燃えたとき
路上で生活することを余儀なくされても
そんなこともあるさ、それが人生だと語る爺様


ヨーロッパ講演が成功し、ホテルに泊まるときでも爺様は歌う


♪昨日は路上で食った
 今日は皿で食う


そしてもう一度繰り返し笑顔で歌う


♪昨日は路上で食った
 今日は皿で食う
 明日は路上で食う


人生に遅すぎることはない
そう歌う爺さまの笑顔はとても素敵だった

飾らない笑顔
とても素敵だった


音楽は楽器の値段じゃない度   ☆☆☆☆
この笑顔に嘘はない度      ☆☆☆
音楽は世界共通言語だ度     ☆☆☆☆