名前の意味するもの⑤

昨日からの続き

名前の意味するもの
固有名詞のレベルでの名前の意味は昨日考えた
概念のレベルでの名前が無かったらどうなるのだろう


例えば、電話で椅子を作る注文をする場合
頼む側は、椅子という名前を制作側に伝えることで、お互いが椅子という概念を想像し、何をつくればいいのかがおおよそ一致する
この概念のレベルで名前がなかったら…
電話で椅子ということを伝える手段がなかったなら…


カタログに載っている特定の商品であれば、その固有名詞を伝えればいい
不自由はしない
では、カタログなどない場合にはどするのか
椅子を作ってくれとお願いしたくても、新たに制作してもらう以上、型番などない
どうやってオーダーすればいいのだ


椅子という概念がない以上、お互いの共通認識はない
頼む側がイメージするのは、公園にある木の椅子かもしれないし、丸太を切り裂いた豪快なものかもしれない
4本脚なのか、パイプ椅子なのか、もしかしたら3本脚の椅子かもしれない
椅子という概念があるからこそ、人が座るものなのだろうなという椅子の範囲で想像することが可能となる
椅子という共通概念を使えない世界
自己の知っている範囲での想像を減らし、すべて相手側の説明に頼ることになる不便な世界


仮にカタログ商品から頼むとして、固有名詞がある場合
その場合には、固有名詞を伝えればことたりるのか
それで不自由はないのか


固有名詞のレベルでしか、名前が無い世界
それは、共通認識を持ちうる領域が極端に少ない世界
自転車の種類はいろいろあれど
自転車を自転車として呼ぶことのない世界
お互いがメーカーの型番だけで話をする世界
タイヤが2つ付いて、人が乗るもので…型番が〜というもので…
不便だなぁ


概念というレベルで名前のある意味
それは他者との共通認識を持ちうる手段
それが概念
名前それは、固有名詞のように特定の何かを指し示すということよりも、社会生活をする上で、お互いが共通認識性を有するものを想像する手段となりうる根源たるもの
そういう働きを有しているのかな
数分で考えたにしてはちょっとオーバーだけれど
概念としての名前
それは、固有名詞としての名前以上に、とても大切なものなのかもしれない



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