批判する精神②

昨日からの続き

批判する精神


世界で活躍している車関係の某ジャーナリストがインタビューを受けている記事を読んだのを今でも覚えている
日本人は、日本のことを批判的に書いてある記事を見ると喜ぶんですよ、売れるんです
そういうのを読みたがるんですよ
そんな内容が書いてあった


なぜなのだろう


批判する記事を読むと、それをもっともだと納得してしまう
おそらくそれで知った気になるのかな
記事を読んだ人のみが、そうだろうそうだろう、そのとおりだよと、問題の核心に迫ったみたいな喜び
批判の対象が、一般的な知名度の高いものであればあるほど、それに対する批判記事が喜ばれる
誰も見向きもしないものに対して、批判をしても、ああそうですかと一瞬で忘れる
もっともらしいことが批判として書いてあると、さもそれが真実であるかのように思い込みをする


既にある意見や記事とは別の、もう1つの意見や記事を伝えようとするとき
もう一つの意見や記事を説明するよりも、既にある意見や記事を批判することの方が楽なのだろうな
楽な方に逃げるというか
批判することで知った気になる


その典型が新聞や雑誌
どの政党が政権をとろうと、誰が総理になろうと、必ず批判をする
批判をすることで、少しでも良い政治になるようにとの心意気もあると思う
全面肯定では、宗教と同じ
戦時中の新聞と変わりなくなってしまう
価値観の相対化があればこその民主主義


新聞や雑誌が批判をする記事を載せるということ
それはそれで大きな意義がある
けれどもその心意気だけではなく、批判することで、読む人に満足感を与えるようなつもりの記事は寂しい
批判記事を載せると、この新聞は真実を伝えているというような錯覚を覚えさせる
肯定記事ばかりでは、なんだこの新聞は、ひよってばかりじゃないか、きちんと取材したのかと不満を与える


確かに批判することは大事なことだ
でも新聞や雑誌は、一方的な立場に立って批判しているだけで、対立意見が見えてこないことがあまりにも多い
所詮商売だからと割り切って読む人はいいのだけれど
それができない人はあまりにも多い


批判する精神
なかなか難しい


明日以降の思索に続く



20年数年ぶりに見たけど、変わらない楽しさがある度  ☆☆☆☆
目がぱちくりまんまる笑顔度              ☆☆☆
今どうしてんのかな度                 ☆☆☆☆