方言
人の思考を決定づける主な要素は言葉じゃないかと一ヵ月ほど前に考えた
心や頭じゃないと思うのだ
言葉じゃないかと思うのだ
そう考えていたら、最近読んだ本で、同じことを考えている人がいてびっくりした
さて、そうするとだ
方言はどうなるのか
エスペラント語に未来はあるのか
まず、方言
日本でいう標準語
俗にいう江戸弁
共通語が先か、方言が先か
鶏と卵の発想
鶏と卵に関しては鶏が先でしょ、という論文がイギリスで発表されたようだけれど
言葉に関しては、どうなのだろう
江戸時代、日本各地から江戸に職人が集まったはいいものの、お互い方言のせいで、なかなか意志疎通が困難だったとか
こりゃいかん共通語を作りましょうということで生まれたのが江戸弁
今の標準語の元となった言葉だそうな
以前ラジオで永六輔さんそう言っていたのを覚えている
これだと共通語は後
おそらく最初に日本に人類が入ってきて言葉を語り始めたとき
徐々に日本各地に広まり、その地域独特の方言となってゆく
演繹的発想
共通語を作る前は、それぞれの方言でそれぞれの思考を持っていた
必要性があって、一つの言葉に集約されていく
帰納法的発想
今の共通語は、永さんのいうとおり、方言より後だろうなあ
問題はその先だ
言葉は意志疎通の手段の一つ
共通の言葉があるのならば、意志疎通も便利だ
意志疎通をしやすくするためには、共通の言葉があればいい
では共通の言葉
それはできるのか
エスペラント語
それは理想の言葉
しかし同じ日本の中でも方言の違いで言葉が異なる以上、世界共通語なんて夢のまた夢
英語だって、アメリカの中で訛りがあって、同じ言葉をしゃべってもらっても、ものすごく異なる
「小林克也のアメリ缶」の中で、同じ言葉の複数の訛りの違いを聞いて、それはとても実感できた
方言って何だろう、どうしてできるのだろう
その理由は何なのだろう
明日以降の思索に続く
ダンスダンスダンス度 ☆☆☆☆
日本のドラマのイメージも強いな度 ☆☆☆☆
歌はみんなナルちゃん入ってるな度 ☆☆☆