既成概念の打破

ものごとは、その目的によって次第に特化されてゆく
進化の過程を知らない場合、今あるものを当然として受け止めることになる


ロードレーサー
速く走るという目的だけのために進化した
その目的ゆえに、速く走るということ以外のものは、考慮されていない
乗る人すべてがレースを楽しむのではないことを考慮したからなのか、今はロードバイクと呼んでいる


名前は変われど、その本質は変わらない
こんな道を走ることは当然に予測されていない


この動画を見て面白い、すごいと感じるのは、ロードバイクを知る人のみ
自転車に乗りさえしない人は、ただ単に、上手だねくらいの感想しかでてこないだろう


この人と同じ技量があったらやってみたいと思えただろうか


これがママチャリならば、でこぼこ道も、多少のジャンプをして走ることも、普通の人でも考え付いたかもしれない
でもロードバイクに乗る人であれば、ロードバイクでこれをやろうと発想する人はほとんどいない
ママチャリ数10台分の値段のするロードバイクでこれをやることに、金銭的抵抗力もあるし、フレームの構造やタイヤのグリップ、ブレーキの制動力など、いろいろな「できないいいわけ」を考えてしまう
でも、できないわけではない
こうしてやっている人がいるのだから


目的にしたがって進化されたモノを利用しているとき、それは同時に、目的以外の何かを失っている
ロードバイクであれば、速く走るという目的のために、それ以外のものを犠牲にしている
それは快適性だったり、財布の中身だったり、遊び心だったり


何かを得ようとすれば、何かを失う
失う何かを意識しているものと、気付かないうちに失うものもある


常に何を失うのかを意識することは難しい
難しいことだけれども、できないことではないかもしれない


モノに関して目的に特化した利用をしているのは自分自身なのだから
既成の枠にはめるのは自分自身なのだから


自分の行動が、その発想を支配してしまう
自分の発想が、モノを利用するその形に縛られてしまっている


発想が自己の行動を支配する
それが本来のあり方だと思う


このYouTubeを見て、ふと考えが膨らんだ


わが人生のベスト10だ度  ☆☆☆☆☆
今の時代にも言える内容だ度 ☆☆☆☆☆
アコギもカッコいい度    ☆☆☆☆☆