目で見るという行為
作家の高橋源一郎氏も言っていた
見るという行為
読んだ瞬間から「見る」という行為から離れて、自分の頭で考えた世界に入ってしまう。
なるほどなあ
自分も同じように感じることがある
自分の頭の中で考えないと、ものごとは理解できない
考えるだけならいいのだけれど
わからないことがあったときに、自分の分かるものに、無意識に類似させ、いつの間にかすり替わるときもある
いわゆる思い込みがそれだなきっと
「見る」という行為は、主観は入らない
「読む」行為には、理解を必要とするため主観が入ってしまう
そういうことなんだろうなぁ
「読む」前に、何かを「見る」という行為
それも大切なことなんだよなあ
だからこそ彼は、読まなくていい、まずは見てくれと言ったのかな
でも、「見る」行為の後に、記憶する行為が続くはずだけれど、そのときは、無意識の主観が入ると思う
「読む」という行為は「見る」という行為以上に、主観の度合いが強く入り込んでしまうという考えは同じだ
でも自分は、「見る」という行為は、彼の考えている以上に、主観が入るものなのだと思う
「見る」ということは、意外に難しいと思っている
その辺は、彼とちょっと考えが違うかもしれないなぁ
親父さんの笑顔がいいですわ度 ☆☆☆
さすらいの音の旅人度 ☆☆
アルバムによって違いがあるのが残念度 ☆☆