電話の話し声

Yahooの記事に載っていた
20日ニューヨークのロイターの記事だそうな
「米コーネル大学の研究チームの発表で、他人の携帯電話の話し声が気に障るのは、会話の半分しか聞こえないことが理由であることが明らかになった。研究内容は専門誌サイコロジカル・サイエンスに掲載される予定。
 同チームは大学生41人を対象に、他人の携帯電話の会話を流しながら集中力を測る実験を行った。それによると、話者のうち1人だけの話し声が聞こえた方が、両方の話者の声が聞こえた場合に比べ、被験者の集中力が低下したという。
 研究を行ったローレン・エンバーソン氏は、「会話の半分しか聞こえないと、注目の対象をほかにそらすことが難しくなる」とし、話し声を消すこともできないため、いらだちにつながると強調。また、人間は会話の断片から次に相手が何を言うかを予測するため、聞こえる内容が半分では予測することが困難になると指摘した。」

1月に、この問題を考えたとき、自分は「理解できないことに対する恐怖」と結論付けた

しかしこの研究によると「注目の対象をほかにそらすことが難しくなる」ことに原因があるという

視点が違うなぁ
研究発表の方には、「注意をそらす」という能動的な行為が前提となっている

また、「予測することが困難」であるとも指摘している
「理解」と「予測」
これも違うよなぁ

「予測」には次のステップがあることが前提だ


「予測し難いので注意をそらしにくい」
これは、人の能動的な行為
「理解できないので恐怖を感じる」
これは、人の困惑という受動的な行為

自分が意識せずとも、人の行動には積極的な行為が常に隠されているということなんだろうなぁ

人は、無意識にでも、自分に不要な物事は積極的に注意をそらすことができる
そういうものなんだなぁ

コンピューターには真似のできない、人間の脳の素晴らしさをちょっと垣間見れた気がする

そういえば、誰かが言っていた
「人間の脳の最も素晴らしいことに一つは、忘れることができるという行為だ」と
あらためて納得


歌はハーモニだぜ度   ☆☆☆☆
歌はメロディーだぜ度  ☆☆
歌はリズムだぜ度    ☆☆