情報取得手段としてのテレビ

情報を得る手段としてのテレビに対する漠然とした不安
寒空を見上げて、口をぽかんと開けながら今日も考えた

人に会って直接聞く以外に情報を得るという手段は、「耳で聞く」ラジオ、「目で読む」活字、「耳で聞き」かつ「目で見る」テレビがある
受け身になって自分では何も考えず、いうがままに情報をうのみにする
それはとても怖いこと
情報を得て、自分で考えて、納得の上でそうなんだと理解するプロセスはとても大事だと思う
もともとも情報の発信元が、間違った情報を流すと、それが間違ったものなのかどうか考える機会を失うこともある

とはいえ、すべてを疑っていたらきりがない
事実を事実として伝えること
ただありのままに報道すればいいことなのに
意外にそれは難しい

事実のみでは読み手が退屈し、購読者が減り、儲からない
何が事実か分からないときは、書き手が予想して、その事実の隙間を埋める

ある程度は、まあそういうものなんですねと割り切りが必要だ

その意味では、情報取得手段としてのラジオ、活字、テレビも同じだ

ただ、テレビには、ラジオや活字と違って、それぞれの2つの手段が重なるだけに、良かれ悪しかれその情報伝達力は強い
強いということは、頭に残る印象も強くなる

情報取得手段としてのテレビに対する漠然とした不安
この情報伝達力の強さもあると思う
今、活字にしながら、そう感じた

でもそれだけではない
この不安は、まだ他に理由がある

もう1日考えてみる


切なくて切なくて泣いてしまう度  ☆☆☆☆
でも涙はなく笑顔で度       ☆☆☆☆
ステップ踏みたくなる度      ☆☆