情報取得手段としてのテレビ

テレビを主たる情報源とすることに漠然と抱いた不安は何なのか、昨日銭湯でゆっくり考えた

よく言われるようにテレビが「やらせ」ものが多いから?
いや、違う
テレビには演出が必要であり、伝えたい「何か」をわかりやすくするためならば誇張して表現することは必要だと自分は思っている
それが、事実を伝えることを目的とする報道であってもだ

以前、テレビ朝日だかTBSだか忘れたけれど、枯葉が舞い上がる過疎地の映像を流し、こんなに深刻な問題なんですと報道したことに対し、地元住民が、それは朝の人の少ない時間に撮影したもので、この土地のマイナスイメージを植え付けるような報道はやめてほしいというクレームがあり、報道の仕方が問題となったことを覚えている

迷惑だと感じる人間がいることを考慮しないで、その映像を報道したことは問題があったと思う
ただ過疎地問題の取り上げ方に対し、いかにその深刻さを報道すべきかというスタンスに立てば、あえて人の少ない時間に街中を撮影し、それを報道することは効果的だと思う

報道に嘘が入ることはあってはならない
それは論外だ
けれども<朝の人の少ない時間をあえて撮影しています>というような断り書きの説明を加えれば、そのような効果的な映像はむしろ意義があるのではないかと思っている
そのときの報道には、なんらの断り書きもなかったためにトラブルになった記憶がある


テレビを主たる情報源とすることに漠然と抱いた不安
好き嫌いの問題ではなく、「不安」
なぜ自分はそう感じたのか

演出が理由ではない

もう少し考えてみる



昔、首の動きマネしました度  ☆☆☆☆
動いてもカメラ目線度     ☆☆
雑音の芸術そのまま度     ☆☆☆