記憶力の低下

一週間分の食事のメニューをすぐに思い出せないと、脳の衰えが始っているそうだ。

すぐに思い出せない。


興味のあるもの、意識しているもの、そういうものは覚えていられるが、そうでないものは覚えが悪くなってきている。
一週間分の食事を覚えているか、という問は、興味のないもの、意識していないものをいかに覚えているかの基準となるものだろう。

興味のないものでも、小さい頃に覚えたものは覚えていることが多い。
20数年間連絡をしていない実家の近所の友人の電話番号などはその例だ。



がんばって、食事は思い出すことができなくはない。
でも、昨日職場の人が、どんなネクタイをしていたかなんて、全く覚えていない。
目には入っているはずなのに。
意識してみない限り、そもそも脳に記憶されていかない。
食事は、意識はしていないけれど、目に入っている時間が長いから、何とか覚えている。



誰かが言っていたけれど、人間の持つ素晴らしい能力の一つに、
「忘れる」という能力がある。
コンピューターのように、記憶が永遠に消去されないのでは、いろいろ大変だと思う。

もし仮に、いつの日か、自分が希望したある特定の記憶のみが、消去できるようになれば、便利な世界が来ると思う。
例えば、本を読んでも、読み終わって、また記憶を消去すれば、持っている本は1冊でいい。
何回でも楽しめる。
それは、何回読んでも、「初めて読む本」になるわけなのだから。
これを便利と呼んでいいのか疑問の余地は大いに残るのだけれど。


自然に忘れていくのは仕方のないこと。
でもだんだん記憶力が薄れていくなか、思い違いを、無意識に正当化している自分に気付く。
無意識に、自分の都合のいいように、記憶がつくられていく。

 そんなのあったかな?(不審)
   ↓
 そうだったかもしれない(期待)
   ↓
 そうに違いない(確信)
   ↓
 そうである(断定)
    

この展開が無意識に脳で行われるのだから困ったものだ。
意識したそうあってほしいという願望が、記憶をすりかえるということはよくあること。

でも、それは、自分がそうありたいと思うからであって、比較的気付きやすい。

問題は、自分がそうありたいと思っておらず、全く何の意識もしていない場合だ。

頭の中で、勝手に似ている記憶と混ざってくる。

断定のレベルまで行ったら、もう引き返しようがない。


最近、これが多くなってきた気が…


魂の叫び度    ☆☆☆☆☆
こころの嘆き度  ☆☆☆☆
目をつぶってる度 ☆☆☆