人種差別

昨年亡くなったマイケル・ジャクソン
彼のことで、人種差別について、再考するにいたったことがある。


彼が、幼児虐待について、罪を問われていたとき、犯罪学の教授がこう言っていた。


「アメリカでは、日本で考える以上に、幼児虐待に対する社会的非難は大きい。なのに彼があれだけで済んだのは、彼が白人だからなんですよ。彼が黒人だったならば、これで終わることはなかったはずです。」


ちょっとまて。彼は黒人だ。
何らかの原因で、真っ白になってはいたけれど、黒人だ。
教授は、写真でしか彼のことは知らないようだ。


アメリカで何年も犯罪学を研究していた教授がそういうのだ。
もしこの先生の見解が正しいとするならば、
いわゆる「人種差別」は、白人や黒人といった「人種(?)」による区別で差別意識がおきているのではないことになる。


そこで教授に質問した。
「先生それはおかしい。彼は黒人です。もし先生の見解が正しいならば、人種差別問題は、単純に「肌の色」を原因としておきているということなのですか。」


「そうなんだよ。アメリカでの人種差別は、肌の色を原因とすることが多いんです。でもそれだけじゃないんです。体臭なども差別意識の出る問題となっているんですよ。君がいくら日本で人種差別を勉強しても、日本にいては人種差別を本当に理解することは、絶対にできませんよ。」

そう言われた。

人種差別という概念から、もっと根源的なものがあるのかもしれないと思っていたけれど、ただの肌の色の差別。

でもそうであるとすれば、色の薄い黒人や、色の黒い白人はどうなるのだろう。
黒人でも、年を重ねるごとに色素が薄くなってきている人はたくさんいる。
見た目では分からない人はたくさんいる。


日本で暮らしていれば、大半の人は人種差別なんて感じないで暮らしていくことになる。
自分もその1人。


それがいいことなのか、悪いことなのか、自分にはわからない。


ビリー・ホリデーが「奇妙な果実」という曲を歌っている。
黒人差別のなかでリンチされ、樹木から吊された黒人の死体が、樹になって、果実に見えるという、とても悲しい歌。

曲そのものだけを聴いても、その社会的意味を真に理解することは自分にはできないけれど、とても悲しいということだけは伝わる。


本を読んだり、人に聞いたりすることだけではわからないことがたくさんある。


目をつぶってじっと考える。今の自分には、それしかできない。


マティーニ度           ☆☆☆
アリナミン度           ☆☆☆
休みの日に楽器店へ行くわ度 ☆☆☆☆☆