太陽の色を描くとき

幼稚園児や小学生に太陽を描いてもらうと赤い色で丸く描く
そして丸のわまりには放射状に点か線を描くのが多数派


自分も、何気なく太陽を描けと言われれば、同じように描く


でもよくよく考えてみれば、赤い色の太陽なんて日本には存在しない
どこかの国で、気候や風土の状況で、赤い色に見えることはあるだろうけれど、日本ではきれいな夕焼けが見えるときでも真っ赤な太陽はない
じっと観察すれば、昼間なら真っ白に近い
夕焼け時でも、薄い黄色
ときには薄いオレンジ色


にもかかわらず、太陽を描けと言われれば、なぜ赤い色を使って描くのだろう


確かに、宇宙空間に存在している生身の太陽は炎につつまれ、真っ赤に燃えているのかもしれないけれど
一般人がそれを生の目で見ることはない
知識として何かの本で見た程度だろう
目では決して炎なんて見ることができない


蝋燭の炎だって、赤い色ではない
黄色とオレンジとブルーが混ざった色だ
赤い色の炎をした蝋燭なんて想像したらちょっと不気味


太陽を赤い色で描くとき
それは本当に自分の目で見て、感じたままを描いているとは思えない
きっと誰かに、はい太陽はこの色のクレヨンをつかってねとか、隣の園児の絵をチラ見したら、赤い色鉛筆を使っていたので、なんとなくまねてみたとか
そんな感じなのではないか


それが大人になっても不思議に感じることなく
太陽は赤い色で描くと思い込んでいる
それで抵抗がなく太陽を描いたつもりになっている


真っ赤な太陽なんて現実にはありえないのに
誰も不思議がらない


シンボルとしての太陽
思い込みの太陽
偶像としての太陽
空想上の太陽


太陽はこういうものだと無意識に決めつけている


その無意識に決めた観念上の太陽から、何かのときに太陽は赤い色で書くものだからと当然の如く思い込み、何かのときに「真っ赤な太陽」と形容し、現実には存在しないものなのに、多くの人がそれで共通の認識を持つことができている


現実にあるものならば、他人と共通の認識を持つことはできる
現実にないものであっても、他人と共通の認識を持つことができている


現実に存在すること意味
観念上に存在することの意味


なんだか難しい


ナルシスト入ってます度      ☆☆☆
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目つきがセクシーダンス度     ☆☆☆☆