犬の泣き声

小さいころから、日本では犬の鳴き声はワンワンと相場が決まっている

柴犬だって、ダックスフンドだって、すべて泣き声はワンワンと表現される


でもよく言われるように、世界では様々な表現がされる
アメリカではバウワウだし、韓国ではモンモンだそうな
フランスやドイツ、スペインなども、その国その国のお決まりの表現があるようだ


確かに、柴犬は日本ならではの犬だろうし、その国その国に一般的な犬の種類も違うだろうから、泣き声を表現するときの音声も違うのは当たり前と言えば当たり前

けれども、そんなに違うものではないし、日本では柴犬以外に対してもワンワンだ
おそらく他の国も、犬の種類によって泣き声の表現を変えていないと思う


犬は犬として鳴き声は同じで表現されてしまう
その泣き声の表現はなぜ国によって違いがでるのだろう


その国その国で母音や子音の使い方が異なる以上、聞こえ方やしゃべり方も異なるだろう
例えば韓国語を母国語とする人には、日本語の「つ」を発音しようとするとき、どうしても「ちゅ」となってしまうという
中国語発音練習用の「マーマーマー」などは、自分には全く判別できない


人はみな、聞きなれた音に変えて表現することになる
文化の違いによる言語上の差異があることは否定できない


自分も犬の鳴き声はワンワンであると表現する
それは人から教えられたものが主たる理由ではないか
小さい頃、親なり友達なりに、犬を見て、ワンワンと鳴いているよと教えられたんだと思う
自分の聴覚ではなく、知識として脳に焼き付いた表現
そしていつの間にか、犬の鳴き声は、そうだ確かにワンワンと聞こえるんだと思い込むようなる
現実にどう聞こえているのかではなく、そう聞こえているはずだと脳が反応する


例えば、昔から続くタモリの番組の、「空耳アワー
洋楽を聞いて、こんな風に日本語で聞こえるというお楽しみコーナー
耳になじんだ曲も、こんな風に聞こえますと最初に教えられ、日本語のテロップも流されると、あら不思議
確かにそんな日本語で歌っているように聞こえる
今まで、そんな風に聞こえたことはなかった曲も、教えられると、そんな風にも聞こえてくる
知識から入る聴覚
そういうものもある気がする


外国の人に、日本語で歌っている曲を聴いてもらい、聞こえたとおりに歌ってもらって、これは何の曲でしょうというクイズをやっていたのを昔テレビで見たことがある
日本語を知らない人が日本語の歌を聞いても、意味どころか、どんな言葉をどう発しているのかもわかってもらえない
わかってもらえないので、それをうまく再現してもらえない
ほとんど意味をなさない擬音となってしまう
言葉をその言語を理解する知識をもっている人が聞けば、同じ未知の曲でも、再現度は違ってくる
これなどは知識から入る聴覚の証だと思う


では逆に、知識から入らない聴覚表現というものはあるのだろうか
もし言葉を知らなかったら、どう犬の鳴き声を表現するだろう


犬を真剣に眺め、どういう表現が一番現実に近いのか、じっくり今度聞いてみよっと
自転車で通り過ぎると、いつも鳴く犬がいるから




音楽の基本はストリートにあると思わせる度 ☆☆☆☆
CDだけでは伝わらない楽しさがある度   ☆☆☆☆☆
サッパリ爽やか油がこってり度       ☆☆☆