考えるということ

目の前の10玉を見つめる
そこには「日本国十円」と書かれた平等院鳳凰堂が映る表と、その裏には「10」と書かれた裏がある
生まれた時から10円玉はデザインは変わっていないけれど、数字が書いてある裏には、「円」が書いていない
あまり気にしたことは無かったけれど、いまふと気がついた
日本国通貨としての証明のため、表に「日本国十円」と刻印するだけで十分と言えば十分だ
まあ、コインの裏は、分かりやすく数字と製造年月日だけにしたのかもしれない

コインを見つめていると、その表と裏だけがすべてではない
それだけでは、コインをすべて見ているとは言えない
そう、コインには淵もあるのだ

一つのものを見つめ、考えるとき、あらゆる角度から考察しなければならない


犯罪行為がなぜおこるのかを例にとれば、その答えを導き出そうとするときは、犯罪心理学だけでは足りない
規制する側からの視点では、それが理論的に許される解釈なのかの法理論的考察も必要だし、法哲学も必要だ
事実現象面からの視点としては、社会経済状況も考慮することが必要だ
さらにこれらを総合した政治的判断も必要となる

一つの物事を検討する際には多角的な視点が必要だ
一つの視点からもっともだと思う結論を導いたとしても、他の視点からは反対の結論が導かれることはよくあることだから

たった一つの視点のみでは、本来見えるものも見失ってしまう危険がある
電卓のように、ボタンを押せば答えがでるものではない

そこが難しいところでもあり、面白いところでもある
結論がなかなか見えにくいもの
だからこそ考える楽しさがある

考えたからといって答えがすぐにでるわけではないのだけれど
考えることによって、今までにない視点や結論がでるときもある

物事を考えることの楽しさは、そんなところにあると思う




少し長いかも度    ☆☆☆☆
土臭さはどこ行った度 ☆☆☆
でも楽しいぞ度    ☆☆☆