知らないことに対する恐怖

「電車の中で携帯で話はしないでください、それがマナーです」
それが一般的にいきわたっている

その理由は何なのだろう

うるさいから?

複数で会話をしている人はたくさんいる
小さな声である限り、それを不快に思う人は少ないと思う

1人で携帯でぶつぶついっているほうが1人分静かなはず
にもかかわらず、携帯で会話をすることは多くの人が違和感を感じると思う



理解できないことに対する恐怖

そこに理由があるのではないか


会話であれば、盗み聞きする意思はなくても、自然に入ってくる会話の内容が理解できる
でも携帯で1人でしゃべっていると、相手の声は聞こえない
一方的で不自然なとぎれとぎれの会話しか聞こえない
これでは、その人が発する声の意味を理解することができない


では、車内で自分が理解できない外国語で会話されていたら?
英語なら、理解できなくても、義務教育で習っているし、街を歩けばそこらじゅうで目にし、耳にも聞こえる
なので、全く未知というわけではない
だから、全く理解できない不安というものはないと思う

では聞いたこともない言語だったら?
車内の携帯の会話に違和感を感じる理由が、理解できないことに対する恐怖であるとすれば、聞いたこともない言語ならば恐怖心はでるのか?
出ないと思う。
意味はわからないけれど、雰囲気で会話が伝わるから

では、仮に車内での会話が、擬音や記号だらけの、意味をなさない音を2人で発していたら?
これは多くの人が違和感を感じると思う

だとすれば、車内で携帯の会話に違和感を感じる理由は、やはり、その会話を理解できないことにたいする恐怖心からくるのだろうか



1人のりのり度  ☆☆☆
みんな仲良し度  ☆☆
リーダーは俺だ度 ☆☆☆☆